2016/02/16 14:36

祖父は若い頃はんこ屋で修行してお店の旦那様から暖簾分けを許された


大正5年(1916年)丙辰の年に創業したので屋号を大辰堂とした
その時に有名な書家に揮毫してもらったのがページのヘッダーの文字です。

新しいお店を始める際に祖父はお店のお客様に一切営業すること無く
お世話になったお店と営業先が重ならないように地方などを開拓して行きました。

いつしかお店も職人を雇い住み込みで働かせるほどの大店になったようです。

地方の町村役場を中心に営業して歩くことは今とは違い泊まりがけですが
宿には泊まらず行き帰りの汽車の中で寝ていたそうです。

その名残は父の時代にもあり幼いころ何度か父の出張について入った経験があります。
父と二人きりの地方周りは特別な時間でもありました。

父が旧制高校生の頃祖父が亡くなりました
長男は東京で一橋大学に通っていました。
その前に小樽商科大学を卒業していたので相当優秀だった。
後に商社に入り大手財閥の商社に吸収されその関連会社の役員にもなった。

父は次男だけど、やむなく継ぐことになったわけです。
母から聞いた話が正しければ祖父は父が生まれた時に「跡継ぎはコイツに決めた」と叫んだとか。。。
今にして思えば祖母が東京の長男を呼び戻すには忍びなく父を跡継ぎにするための口実で思いついたつくり話だったのかも知れません。

年下のおじに聞いた話では、父も頭が良くて本当は大学に通いたかったらしいと言うこと。
父から引き継いだお店を守るため青春時代の殆どの時間を注いだ。

しかし、父の高校生時代の仲間は地元の名士揃いだった。
駅前の靴屋さんや函館では知らない人がいないうなぎ割烹の社長や函館で一番大きな本屋さんの社長とか・・・
もうすでに会社がなくなってしまったのは寂しいが、今頃空の上で同窓会三昧かもしれません。